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2016年3月24日 (木)

小鷹信光先生のこと

 昨年12月に亡くなられた小鷹信光先生には、ほんのここ5年ほどの短い間でしたが、手紙やFAX、メールをやり取りしたり、我が家をお訪ねいただいたり、私の方がお宅をお伺いしたりと、出不精、筆無精の私の基準からは考えられないほど、ずいぶんと親しくしていただきました。
 
 いや、実のところ、「親しくしていただいた」どころの話ではないのです。
 
 小鷹先生の熱心な読者ならば、ミステリマガジン2011年8月号の「私のアメリカ雑記帖」第12回の結びに「戦国時代をともに経てきたわたしの手元にはダイジェスト・サイズのミステリ誌のバックナンバーが主要五誌を中心に数十種の短命誌もふくめて千六百号ほど残っている」と書かれていたことを覚えておいでしょう。その1600冊が、今は我が家の書庫に収まっています。
 
 もともと私は、先生のお仕事の仲間だったわけでもなく、翻訳の弟子だったわけでもない、ただの一ミステリ読者でしかありませんでした。その私の手元になぜ?
(まあ、ただのミステリ読者と言うにはかなり「濃い」めですし、ミステリ誌コレクターとしてもちょっとしたもののはずだという自負はあるのですが(^^;))
 
 そもそも先生の知遇を得させていただくきっかけとなったのは、『私のペーパーバック』が出た折に書いた先生宛のファンレターでした。ファンレターなどというものを書くのは初めてでしたが、先生の本や連載を心から楽しみにしている者がここにも一人いる、これからも楽しませて欲しい、という思いを伝えたくて勇を鼓して書いたわけです。
 で、その手紙の最後にひとつだけ質問をつけ加えました。それこそ重箱の隅をつつくようなマニアックでトリビアルな質問です。ファンレターで質問というのもどうかとは思いますが(^^;)、小鷹先生なら、同好の士がいるぞと、喜んで何らかの反応を返して下さるだろうという読みはありました。そう、ぶっちゃけた話が「釣り」というやつです。
 
 その結果がどうなったかというと……
 間をおかずに、びっくりするほど中身の詰まった返事の手紙が届き、それに返事を書くとまた手紙が届き、と何回か手紙のやり取りをした後、先生は、書棚を見るために、わざわざ松本市の我が家までおいでになりました。その後もFAX、メールなどのやりとりが続き、ふと気づいた時には、先生がeBayで入手したいものを見つけると、私がその落札を代行するという関係になっていた次第。
 
 見事に「釣り」に成功したとも言えるでしょうが、むしろ、かかった獲物があまりに巨大でパワフルなために、釣り船が大波あげてあちこちと引きずり回されるという、昔のギャグアニメにありそうな場面を思い浮かべていただいたほうがよいような……。
 
 先生から手紙やFAXが届くたびに「えっ」「おおっ」と声を上げ、終始ふりまわされていたような気がします。一瞬のためらいも無く、遠慮会釈もなく、エネルギッシュに目的に向かっていく、攻め手を緩めない先生のスタイルを目の当たりにして感銘を受けました。これが、小鷹信光なんだなぁ、これでなくては、あれだけの仕事はできないのだなぁ、と。
 
 先生の攻めっぷりは、例えば「ジャック・リッチーのあの手この手」の収録作品を見れば分かります。この本は底になる短編集があるわけではなく、小鷹先生自身の編集なのですが、ということは各作品の底は初出誌だということなのです。で、「あの手この手」の初出を見ると、「Boy's Life」(えー、よく手に入りましたね)、「Adam Bedside Reader」(う、すいませんそれ知りません)、「Signature」(何ですか、それ???)という感じ。ミステリ誌のコレクターとしてそれなりの時間を費やしてきた私の目からしても、このあたりはちょっと入手できそうにない……というか、たとえチェックリストで掲載誌がわかったとしても、これは普通あきらめるところでしょう、というような誌名がいくつも混ざっているのです。先生はどうやってこの辺の作品を入手したのか。「あの手この手」の後書きでも少々触れられていますが、ミステリマガジン2013年9月号「ジャック・リッチー特集」の序文にはもっと詳しく、ネットのチェックリスト>>リチャード・シムズ>>リッチーの次男スティーヴと手を休めずに攻め進み、ついには大量のPDFを手に入れる様子が説明されています。
 
 これこそが小鷹信光先生なのですね。
 
 私と先生はコレクター仲間だったのだと思います。お会いしたときに出てくるのは、コレクションの入手法法、保存方法とといった話題ばかり。それにお互いのコレクションの見せ合い(自慢、ですね(^^;))。
 ちなみに、本当に勝負なんてこと考えていたわけではないのですが、仮にコレクションを比べたとすると、私も小鷹先生といい勝負をしていたんじゃないかと思います。ダイジェスト誌に限れば先生の優勢勝ちですが、パルプ誌だと物量で私の勝ち(ただし先生は効き目本を数点押さえておられたので、私の圧勝とはいかない)、スリック・マガジンでは先生の膨大なメンズマガジン・コレクションの前には勝負にもならないのだけれど、ミステリにジャンルを限れば私の方にも一矢報いるチャンスはないでもないといったところでした。
 初めて我が家を訪れた日、帰り際にに先生は「破産だけはしないようにね」とおっしゃって、にんまりとお笑いになりましたが、いや、先生、それは洒落にならないですよ……(^^;)。コレクターの業は深いです。
 
 昨年の4月、先生から「ダイジェスト誌をまとめて譲りたい」というお手紙をもらいました。以前より、自分がいなくなったあとの散逸をどうやって防いだものか、といった話題が出ていたので、「戴く」というよりも、「以後の管理を引き受ける」というつもりで頂戴しようと腹を決めました。
 5月に1600冊余を受け取りにお宅にお邪魔した折には、病気のことを伺い、「形見分けのつもりだから」という言葉を先生の口から聞きました。「いやいや、まだまだやっていただかなくてはならない仕事がたくさんありますから」と言って、私はその場を辞しました。その後は手紙やFAXのやり取りはなかったのですが、ミステリマガジンでのお仕事などを拝見して、まだまだ大丈夫、と思っていたところにやってきた訃報でした。
 最後の最後まできっちりと仕事をこなされていた、ということだったのですね。ただただ頭が下がるばかりです。
 
 というわけで、その1600冊が、今、ここ(我が家)にあります。
 古くはミステリマガジンの連載「新パパイラスの舟」(1973年~75年,および2008年に論創社から単行本)、「とっておきの特別料理」「ブロードウェイの探偵犬」などのアンソロジー、そして2011年~13年の「短篇ミステリがメインディッシュだった頃」が生み出される母体となった1600冊が。
 
 これを受け取る時、「絶対に死蔵はさせません」と先生に約束しました。地方在住の身ですので、ぼうっとしていたら簡単に「死蔵」になってしまいかねません。どうすれば、それを防げるのか、今、あれこれと思案中です。良い方法をご存じの方、あるいは「利用したい」と思っている方がおられたら遠慮無くご連絡下さい。
 
 先生とも話していたのですが「コレクションなんて、自慢してなんぼ」です。自分と同じ目線でコレクションを評価し、羨ましがったり馬鹿にしたりしてくれる仲間がいなければ、コレクターの生き甲斐なんて半分は失われたも同然。
 先生がいってしまわれて、とても寂しいです。

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コメント

米丸さんと小鷹さんとの間に、これほど濃密な親交が結ばれていたとわ!
私が地下に潜っている間に、様々な事が起きていたようですが、その中でも1番驚きました。
羨ましさ半分、思わね重責を担った米丸さんへの同情半分。
まあ、小鷹さんとの親交の深まりは、断然羨ましいけど(笑)

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